独裁制ってそんなに悪いことばかりでもないんじゃないかと思うのです。
決まったことに従っていさえすれば「責任」を問われることもないし、白い目で見られることもない。何より、エラい人が全部を決めてくれて、難しいことは考えなくてもいいので楽チンかもしれない。実際、今までだって、なんだか意味のわからない校則や、監督やコーチの不条理な特訓や、上司の無理な要求にも耐えてきたんだから、その生き方はまあ、慣れたものだ。
独裁制って、きっと怖そうな独裁者が民衆に銃をつきつけて完成するのではなく、「決まったことには従います」という生き方の人々が、ある一定数を超えたら完成するのではないかと思うのです。
だから民主制を不信任とし、独裁制を支持するためにわたしたちにできることは、例えば政治に口を出さないこと、何より、選挙で投票などしないことではないかと思うのです。
でも、と、思うのです。
わたしたちが生きているこの社会の何かに「従う」だけの人生。
それはなんだか寂しいことのように感じるのです。
RADWIMPSの「バグッバイ」という曲の歌詞にこんな一節があります。
「僕が生まれてくる前と 僕が消えたあとと なんか違っててほしい 世界は違っててほしい」
わたしが生まれてきて、世界は何も変わらず、わたしが消えても、世界は知らん顔、人の人生なんてそんなもの、なんて思いたくないのです。
家族があり、出会いがあり、友人がいて、好きな色があり、好きな食べ物があり、好きなことがあり、好きな人がいる。
ほかのどこにもない、わたしだけの人生、それを生きた人間がここにいた。
おおげさかもしれませんが、2019年7月の日本で、この候補者とこの政党に投票したということは、かけがえのない、わたしの人生の一部になると思うのです。
期日前投票に行ってきました。
今回は、選挙区では「そのう裕造」さん、比例区では「れいわ新選組」に投票しました。
それが、わたしという人間の「今」でした。
みなさんもどうかその人生を、それぞれの選択、それぞれの投票を通して、この社会に刻んでいただけたらと思うのです。